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自分の話(ひとりごと)

いつもbrownie giftをご利用頂き

誠にありがとうございます。

今回は洋服紹介ではなく自分の話をしようと思います。


誰かのために何か役に立てるなら
それがどんなに幸せなことなのか

それに気づかせてくれた人の話です。


そのひとは母親の姉、Sおばちゃん...と言っても
母親と歳は20近く離れていて、父親が違うということは
じーじ(母の父親)が亡くなった時に初めて聞かされた。
もう12〜13年前になるのかな

Sおばちゃんのお父さんが戦死されて、
旦那さんの兄弟と再婚させられたんだと。

(ボクの母親は戦後生まれ)


「相手の家に嫁いだらその家のモノ」という
考えだったらしい。昔...っていうけど
たかが80年ちょっと前の日本、

信じられないけど当時は普通の話。


Sおばちゃんは着付けの先生をしていて、
生徒さんもいたりして子供の頃から
すごく素敵だったのを鮮明に覚えてます。

ずいぶん遠い記憶だけど、毛糸だったか
おばちゃんが編んでくれたうさぎの枕カバー。
たしか小学校に上がる頃、
「もうボロボロだし要らないでしょ」

母親に言われ嫌だと言えなくて

捨てられたことをずっと後悔してた。


黄色の身体に青いオーバーオール。
目のボタンが取れたあとは
マジックで黒く塗ったところまで覚えてる。


子供の頃は玩具を買ってもらえることもなくて、
(時代は昭和後期から平成です)
外食は年に1度だけ。12月の27とか28とか。
おばちゃんがお仕事関係の方を招いて
忘年会を開くお座敷の1階には洋食屋さんがあって、
その日は何を頼んでも怒られない。
カニクリームコロッケだとかソーダフロートだとか、
ピザもハンバーグも冷凍じゃないやつ。
お腹いっぱい食べられる特別な夜。

本棚から少年ジャンプの合併号を取り出して幸せな時間。

そこの会計は全部おばちゃんが
払っていたことを後で知りました。

いや、子供ながらにうっすら分かってた。

高校に進学するときは当時高価だった
ラジオチューナー付きのSONYのウォークマン。
浜松の有楽街に当時まだあった家電屋さんで
『欲しいんだけど...』と遠慮気味に言ったら
文句も言わず買ってくれたおばちゃん。

いろんな音楽を聴いて出かけたなぁ。


控えめで自分の意思を伝えるのが苦手だった子供時代。
ハツラツと明快で、優しく見守ってくれた存在は
大きな影響を与えてくれたんだと今でも感じています。

老いても元気でおしゃれだったSおばちゃんは
車などの移動手段がないので毎週のように
ボクがお買物に誘っていた。
「オサは忙しいから」...と遠慮するおばちゃんに

『何でもいいから言ってね!すぐ行くから』と

頼ってもらえるのがすごく嬉しかった。

スーパーでも100均でも病院でも、どこでも行った。

洋服を選びに行く日はとても楽しかった。

コロナ禍には御殿場のアウトレットに
行ったこともあったな。


そんな、自分にとってもうひとりの
母親みたいな人が一昨日の夜に他界しました。


ボクがこの仕事をして、いや。
若い頃はDJだったりそれ以外でも
昔から何かと浮いていた自分を受け入れてくれた。

文字に起こしながら、やっぱりとても寂しい。

人は誰しも歳を重ね、老いて、そして尽きる。

別れが理不尽に訪れる人もいる。

(最後まで上手にまとめられなさそう...すみません)


今でも自分がこの世界に夢中でいられるのは

「好き」というシンプルな理由もあるけど

こうして成長させてくれた沢山の感謝は

この先も絶対に無くならないし大切にしたいと思います。

 

 

ありがとう。

 

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